2009年05月03日

無題


人間はいつかは現世を離れるし、
「いつか」がとうとうやってきてしまった事自体は、
生まれたときにはラプソディを聞いていた僕にとっても
もちろん悲しいし寂しいのだが、
この喪失感の1番の原因はといえば、
あれだけの熱量を持った人間が、
今現在他に見当たらないことにあるように思う。

まさに太陽を失った感覚。
みんながみんな永遠だと思っていたから、

「この先どうするんだ?」

って、
いつかこうなることはわかっていたはずなのに、
いまさら慌てふためいているのだ。
知ってか知らずか、いやわかっていながら、
その存在にみんなで甘えていたのだ。



安易に誰かの模倣に走りがちな国にあって、
唯一無二の存在感を放ち続けた。
自分が誰かの模倣でないことを、
本人が世界で1番わかっていた。



音楽は残る。
生き様も残る。
だが、それはあくまで神としての在り様だ。
心の支えにはなるかもしれないが、
心身が求める熱狂を支えてはくれない。


ただ単に、この五十年が余りにも幸せだっただけなのか。
ロックがクラシックになっていく。
本当によい時代を生きられたからこそ、
諦めながらも認めたくない気持ちが確かにある。

キヨシローはもういないが、
我々の音楽による熱狂を求める心はなくなりはしない。
代わりではない太陽が必要なのだ。
それになれるのは、
今生きている人間しかいないのだ。

今こそ奮起のときかと思う。
このままロックが枯れていくならそれもいい。
偉大な遺産は山のように残されているし、
現代におけるクラシックみたいになるのも、
時代の流れなんだから仕方ないと納得することもできる。

だけど、
まだなんかあるんじゃないのか、
と思う。いや思いたい。
いやいや、絶対にあるはずだ。


いよいよもって、
勝てないし勝つ気もないとか言ってる場合ではない。
誰にでもできることじゃないんだから、
望むと望まないとに関わらず、
やるとしたらもはや、
音楽を作りプレイする衝動を持って生まれてきた、
音楽アーティストたるあなた達しかいないのだ。
鳴った音をリアルに記録する技術も、
その音を東京にいながら世界中に発信する環境も、
今なら簡単に手に入るし、
そんなもんは俺だって持ってる。

キヨシローはもういないんだ。
残ってるのは生きてる我々だけだ。
今までキヨシロー達がやってくれてたことの、
バトンを受け取る時が来たのだ。
それぞれが出来ることを一生懸命やって、
力を合わせてがんばろうじゃないか。


キヨシローは最後まで闘い続けたんだ。
posted by たー at 19:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記的人生観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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